バンコクの片隅で日本人老夫婦が屋台を営む理由

投稿日 2016.08.31

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Webの記事を見て数日後、ホーガンカー大学近くへ

友人から届いたのはタイ語で書かれたWebサイトの記事だった。
内容は、「ホーガンカー大学の近くにあるフードコートで日本人老夫婦が屋台を営んでいる」といったものであり、彼らの写真も掲載されていた。
記事が掲載されたのは今年の2月。
写真に写っているのは、初老の男性と女性が共に働き、屋台を切り盛りしている姿である。

http://taghr.net/2016/02/14/40-43/

ホーガンカー大学はMRTホイクワン駅から西へ約1.5kmほどの場所にあり、学生で賑わうが日本人が近付くようなエリアではない。
そのような地区で、なぜ日本人老夫婦が飲食店を営んでいるのか。
しかも屋台。
写真を見る限り、一食100バーツ(約350円)以下のメニューばかりが並んでいる。
学生客が多いとはいえ、客単価は低くさを考えると、1日の収益は一般的な会社に勤めている日本人の収入には遠く及ばないはずである。
どういった経緯を辿り、この場所で屋台を営むことになったのか。
Webサイトの記事を見た数日後、私はホーガンカー大学のすぐ近くにあるフードコートに立っていた。

姿が見えないご主人は……

昼1時を過ぎたため、ホーガンカー大学の学生たちの姿は減ったものの、それでも客のほとんどは学生が占めている。
記事内で紹介されていた屋台は、フードコートの最も奥、左の片隅で営業していた。

ホーガンカー大学

ホーガンカー大学の学生が主な利用客だ

日本人経営『にじ』

『にじ』には100バーツ以下の日本食が揃う

タイ人女性が店頭でオーダーを聞いている。

――ここのオーナーは日本人ですか?

「そうですよ。呼んできますので少し待ってください」

彼女は店奥へ消え、1人の女性を伴ってきた。
記事内の写真に写っていた初老の女性である。
私はこちらのお店がインターネット上で記事として紹介されていることを伝え、話を聞かせてもらう了承を得た。

「タイには20年以上住んでいるけど、ここでお店を始めたのは5年ほど前なの」

お店を切り盛りしているのは、さきほど私の対応をしてくれたタイ人女性と、彼女との2人しか確認できない。
写真に写っていた男性について聞いてみた。

「主人は今年の4月に亡くなりました。死因は脳梗塞です。タバコが好きな人で1日に4箱も吸っていたから、それが原因だったのかしら」

1ヶ月ほど前に体調不良に見舞われたが、それでも働くことは出来ていた。
しかし突然倒れ、病院へ搬送。
1週間後の4月19日、帰らぬ人となった。

手作りの看板

タイ人が作ってくれたと言う看板

胸を膨らませバンコクに来たら何もなかった

滋賀県で生まれたアキさんは、大学時代を京都で過ごし、結婚を機に静岡県へ移り住んだ。
静岡県では自身でカラオケスナックを営み、それだけではなく、昼間は宅配弁当を調理し、昼も夜も働く生活を送っていた。
アキさんとご主人が20年以上前にタイへ来ることになったのは、とある日本人からの誘い話がキッカケだったと言う。

「静岡県でカラオケスナックをやってて、その時の常連さんから『アキさんの料理の腕があればタイで出店すればうまくいく』と言われたんです」

彼女の料理の腕は評判で、そこに着眼した男がバンコクでの出店を持ちかけたのだ。

未知の国での挑戦。
アキさんとご主人はこの話に乗った。
男はご夫妻から200万円を受け取ると、バンコクで店舗の契約に動いた。
それから数ヶ月後、男はスナックに顔を見せこう話す。
「店舗契約ができた」
見知らぬ東南アジアの街、タイのバンコク。
新天地での試みのためカラオケスナックは売却し、2人はバンコクへ飛んだ。

「バンコクへ行ってみたら店舗なんて無かったの。そのとき騙されたって気付いて連絡したんだけど梨のつぶて。かろじてマンションだけは契約できたので、住むところには困らなかったけど」

タイでの挑戦と夢は、詐欺という罠であっけなく消えた。

「所持金だけじゃ店舗なんてとても借りられないから、自宅で宅配弁当を作って細々を売り始めたんです」

日本で好評だったアキさんの料理はバンコクでも評判となり、規模が拡大し始めたころ法人として登記。
手狭だった自宅から広いマンションへ引っ越しし、余った部屋を宿泊施設として貸していたこともあったと言う。

「今でも多いんでしょうけど、その頃にも『タイ人女性に騙されてお金がなくなった』っていう人がいて、そんな人たちの“駆け込み寺”のようになってましたよ」

『タイ人はみんな優しい』

アキさんの宅配弁当は評判が評判を生み、スクムビットの日本人学校へ配達するまでの信用を獲得した。
詐欺が縁を結んだバンコク生活は、宅配弁当の需要が増えることによって順調だった。
そんな彼らの生活は6~7年前から変化を見せ始める。

「スクムビットに私たちと同じような宅配業者が増えて、徐々に仕事が減ったんです」

日本食がタイ人の間に浸透し始めたことも手伝って、バンコクの宅配業者が増加。
アキさんの会社は激化する競争に巻き込まれ、やむなく休業を決意した。

日本人の知り合いから『ホーガンカー大学近くのフードコートでお店をやりたいので手伝ってほしい』という話が舞い込んだのが5年前。
居を移して新たな生活が始まったのである。

「お店を始めたんですが、お知り合いの方が早々に撤退をしちゃって。私たちが引き継ぐことにしたんです」

家賃は電気代込みで8000バーツ。
学生ばかりが集うフードコートだけに、他店の値段設定は100バーツ以下のものばかり。
すべてが″タイ人の土俵”だった。
週に一度だけの休日、朝8時から夜8時まで営業する日々は、60歳を超えたご夫婦にとってどれほどのものか、42歳の私が理解するには若すぎる。

「1食あたりの利益が10バーツそこそこだから、生活費を考えると最低でも70~80食を売らないと。でもね、タイ人って優しいの。ここのみんな私たちを助けてくれるから」

フードコートでお店を営むタイ人たちが、ご夫婦のためにタイ語でメニューを作ってくれたりと、いろんな面で助けてくれたと言う。
アキさんのタイ語能力は会話が少しできる程度、ご主人はまるっきりタイ語を喋られなかったそうだが、タイ人コミュニティにうまく溶け込み、支えられながら、慎ましやかに生活してきたのだろう。

アキさん

ひさしぶりに日本人と会ったからか、営業中でありながらたくさんお話ししてくださった

「日本人には騙されたけど、タイ人に騙されたことなど一度もありませんよ。タイ人は優しいわ」

アキさんは会話中、何度も「タイ人は優しい」と繰り返す。
屋台での注文をとるなどしながら、私たちの会話を見ていたのは、タイ女性スタッフの方だ。

「主人が亡くなってから彼女に手伝ってもらっているんです」

スパポーンさんとはメニューの味付けで衝突することもあると言うが、私が見るお2人はお互いを信頼し、心を許し合っているように映る。
『にじ』のメニューである「うどん」は、スパポーンさんがタイ人向けの味付けで考案したそうだ。

「彼女が作るうどんは本当に美味しいから」

私は「かつ丼」と「うどん」をいただいた。
タイ人向けの日本食なので量が少ないだろうと2品注文したのだが、予想を裏切られた。
学生向けだからか、かなり多い。
かつ丼はプロモーション価格で50バーツ、うどんは65バーツ。
コストパフォーマンスはいいが、店側にとってはギリギリだろう。

『にじ』メニュー

アキさんいわく「家庭料理の味を出しているの」

『にじ』メニュー

これほど写真を掲げている店は『にじ』だけだ

うどん

写真では分かりづらいが、けっこうなボリューム

かつ丼

通常60バーツのかつ丼はプロモーション中で50バーツ

一周忌を迎えたら日本に帰りたい

アキさん

自ら調理をするアキさん

金銭的に余裕はないかもしれないが、それでも和やかに生活を送ることが出来ていたのは、ご主人がいたからこそではなかったか。
異国の地で詐欺に遭っても、会社が休業しようとも、何十年もお互いを支え合ってきた。
そのご主人はもう隣にはいない。

「主人もいなくなったし、そろそろ日本へ戻ろうかと思っています。子供たちも『帰ってこい』って言ってくれてますしね」

オーダーの入ったかつ丼を作るアキさんは、そう話し柔らかく微笑む。
優しい笑みだった。

「タイで長く住んでいると寒いのが苦手になっちゃうでしょ。だから主人が一周忌を迎えた後の春、日本へ戻りたいなぁと思ってます」

数十年ぶりに送る日本での生活は、どのような日々になるのだろうか。
日本の冬は、長年に渡る南国に慣れた体にさぞ堪えるかもしれないが、ご子息たちと安寧な日常を過ごせることを願いたい。

私が去る時、目をキラキラと輝かせ『また来てね』と何度も話す、アキさんの顔が今でも胸に刻まれている。

文/西尾康晴

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34 件のコメント

  • カッシー より:

    タイ人の優しさと日本人女性の強さが伝わってきました。

    • Gダイアリー編集部 より:

      本文では執筆できませんでしたが、ご主人の病院葬のときもかなり助けられたとおっしゃっていました。

  • としぼう より:

    イイ記事、イイ写真。ぐっときた。

    • Gダイアリー編集部 より:

      ありがとうございます。
      今後Gダイアリーではこういった記事をWebサイトでも発信していこうと思っております。

  • 山﨑 より:

    行ってみたいな。

    • Gダイアリー編集部 より:

      ご興味をもっていただきありがとうございます。
      ホーガンカー大学のすぐ近くのフードコートです。

  • タイ より:

    Google map で場所確認出来れば行ってみたいです。追加お願い出来ますか?

    • Gダイアリー編集部 より:

      ご本人の承諾を得ていなかったので、詳細な地図を掲載することはいたしませんでした。
      ホイクワン交差点からバイクタクシーを拾い、西方面のホーガンカー大学まで行き、左折してすぐのフードコートです。

  • 風の旅人 より:

    初めまして、こんにちは。

    あるFacebook経由で拝見しました。

    タイ人の友達がいるとはいえ、ひとりだとやはり寂しいでしょうね。

    一周忌の後日本に帰国するされるとの事なので、それまでに現地で食べたいですね。

    できれば帰国後日本でタイ料理のお店など出せれたらいいのにと思ってしまいます

    • Gダイアリー編集部 より:

      Facebook経由で記事をご覧いただきありがとうございます。
      日本人には馴染みのない場所ですが、日本人の方が来店し声をかけてくださればきっと喜ぶと思います。

  • 足利尊弘 より:

    編集者の文章が状況を的確に伝えていて読み易く、
    優しい目線を感じました。

    • Gダイアリー編集部 より:

      ご感想ありがとうございます。
      今後WebのGダイアリーでは、タイを愛するみなさんに刺さるようなコンテンツを提供してまいりますので、これからもよろしくお願いいたします。

  • 匿名 より:

    この記事には泣けましたが、こういう記事は就労違反で彼女が捕まる原因になりそうですね。
    捕まる前に帰国できるといいですね。
    あえて記事にしないほうが良いのではないかとも思いました。

    • Gダイアリー編集部 より:

      ご意見ありがとうございます。
      今後はWebサイトでコンテンツ配信してまいりますので、ご意見ご感想などありましたら、よろしくお願いいたします。

  • あさ より:

    タイで頑張る日本人の生き様、、大変感動しました。
    これからもこういう記事、Gダイで期待しています!

    • Gダイアリー編集部 より:

      ご感想ありがとうございます。
      今後はWebでもいろいろなコンテンツを配信してまいりますので、よろしくお願いいたします。

  • masa より:

    初めまして、こんにちは。9月22日から訪タイしますが、行きたいですね。温かいお話しありがとうございます。

    • Gダイアリー編集部 より:

      日本人の方が来店しお話ししていただければ嬉しいと思います。
      お時間があればぜひご来店ください。

  • 匿名 より:

    ご帰国される前にぜひ伺わせていただきます。

    PS.上のコメントに書かれていましたが
    >優しい目線を感じました。
    私も同じ感想を持ちました。
    これからも良い記事を期待しております。

    • Gダイアリー編集部 より:

      ありがとうございます。
      ぜひご来店いただき、声をかけてあげてください。
      きっと喜ぶと思います。

  • 匿名 より:

    このお店のカツ丼は今は無き北京飯店スワニーのカツ丼(カシ丼)を思い出させます。

    • Gダイアリー編集部 より:

      『北京飯店』懐かしい。
      バンコクからこういった古い店が無くなっていくのは、一抹の寂しさを感じます。

  • 匿名 より:

    美談に聞こえますが、この人たちタイ在住の日本人に嘘ついて借金して踏み倒した。
    詐欺師です。いられなく成って日本人がいない所に逃げた。

  • 新井 広大 より:

    最後のコメントが痛いです。過去の事実はなんであれ、今は彼女が一人でやっているという事実ですかね。うまい飯が食べられるなら客はそれでよし、と個人的には思います。日本人が日本人をだます話は枚挙にいとまがないほどですし、タイ人女性に家屋敷預貯金全部取られたなんて事もたくさんありますね、私の身近な知り合いも妻との住居として建てた家屋敷を丸ごと取られてしまったなんてことも知ってます。がよくよく確認すれば20も30も年の離れた娘と結婚したなんて事が原因です、60前後の男に20前後の娘が惚れるわけないでしょ、自己責任としか言いようがなかったりしてます。この方も日本に帰れるならそれでいいのではないでしょうか?

  • kanahata より:

    詐欺師だと過去を断罪するコメントが付いていますが、とても悪党には見えません。悪党がこんな細々と飯屋をやるでしょうか…。

  • スカイプ より:

    たとえ 過去にその様な 事実が 有ったとして
    僕は、今の彼女の 現状で 断罪する人の 気がされません。人として

  • ベティーブルー より:

    はじめまして、facebookからこちらの記事を拝見させていただきました。
    昨年この記事をみて、行かなきゃ!
    会いに行かなきゃとなぜかそのように思いました。
    すぐに行ければ良かったのですがなかなか行けず4月にやっと行けるようになったのですが一周忌を終えたら日本に帰国すると書かれていまして4月11日にバンコクにつく予定なのですがまだお店はやってらっしゃいますでしょうか?
    どちらにしても行きます!

    • Gダイアリー編集部 より:

      初めまして。記事を読んで頂き、ありがとうございます!
      最近行っていないのではっきりとはわかりません…

  • Hide より:

    昨日、訪問しましたが帰国を少し伸ばされたようで8月位までは営業されるようです、是非訪問されて下さい。

    • Gダイアリー編集部 より:

      情報を頂きましてありがとうございます!

  • ベティーブルー より:

    Hide様
    情報をありがとうございました!
    4月の予定でしたが伸びてしまい5月になりまして、もう航空券も手配できましたのでこれで本当にいけることになりました。
    バンコク滞在中毎日ご飯食べに行きます(笑)
    嬉しいです😂
    本当に嬉しい情報ありがとうございます😭😭😭

  •  ガサツおやじ より:

    つい数日前、ここで 食事したので、リポートします。

      >>> 「 彼女が作るうどんは本当に美味しいから 」

    うどんを食べたが、いいと思います。
     ただし私は、味音痴ですが 。。
      繊細な舌には、ほど遠い ガサツおやじ。

       >>> コストパフォーマンスはいい
    私も そう思います。

     >>>  詐欺師だと過去を断罪するコメントが付いていますが、とても悪党には
         見えません。  悪党がこんな細々と飯屋をやるでしょうか…。

    私は、全く わかりません。
    「 記事内の 写真に写っていた初老の女性 」は、いらっしゃいましたが、 会話は、
    しなかったので。
    私は、リタイアしたジジイ(?)ですが、 タイでは、日本人を ほぼ避けています。

     >>> ホイクワン交差点からバイクタクシーを拾い、西方面のホーガンカー大学
        まで行き、左折してすぐのフードコートです。

    ホーガンカー大学の 中ではなく 外側です。

     左折して「 すぐ 」 →  1~3分
    バイクタクシー、 20(~30)バーツ。

    この食堂?の隣に、 日本ふうラーメン屋さん あり、食べたが 美味しかったです。
    コスト・パフォーマンス( 費用対効果 )は、微妙 。。

  •  ガサツおやじ より:

    再訪レポート

    昨日、ここに行きました。

    もぬけの殻状態、  日本人帰国した?

    その隣の、日本ふうラーメン屋さんは、 営業しており、 また食べたが 美味しかったです。

    ここは、エアコンないんで  俺サマには、ちとキツイ 。。

  •  ガサツおやじ より:

    下記、 ご参考までに 。

    https://ameblo.jp/toyo-genkurou/entry-12196134677.html

    異国タイで屋台を営む老夫婦の話・・・

    タイトルから、ひょっとしたら?と思い見てみると、
    やはり私のサロンの近くで屋台を経営しているご夫婦の記事でした。

    日本人に騙され、異国タイの地で働くことを余儀なくされたご夫婦のことが書かれています・・・

    私のサロンは、アキさんが屋台を出すフード・コートの目と鼻の先です。

    2年前のサロンの新装準備のころから、アキさんの屋台ではお世話になっていました。

    この頃は、ご主人もご健在で、日本人がいることなど珍しい地域であることから、
    私達がお店に行くとご主人は、とても懐かしそうに話をしてくれました。

    異国タイの地での生活は、本当に大変だったようです。

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